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さみしいのは通じてないから

わたしたちはさみしいのです。
そのさみしさをなんとかしたくて行動しています。
さみしいのは一人ぼっちだからじゃありません。
通じ合っていないからさみしいのです。

もくじ

なんでさみしいのか

さみしさを自覚している人もいるし、さみしくはないと思っている人もいます。

ひとりでいるのがさみしくて苦痛だから、いつも誰かといたいと思っている人もいます。

ひとりでいても、だれかといてもいつもさみしい、と感じている人もいます。

そばに誰かがいるのにさみしいと感じる時、ひとりのさみしさよりもつらいと感じたことがある人もいると思います。

さみしいのはひとりだからじゃないのです。

通じていない時、さみしいのです。

ひとりの時間を作らないようにいつも誰かといたとしてもそれは、一時的にさみしさを紛らわすことしかできません。

誰かがそばにいるだけでは、さみしさを埋めることはできないのです。

紛らわせているだけだから、いつもさみしい。

人といっしょにいることでさみしさを解消する他にも、人に評価されて認められることで受け入れてもらおうとしたり、仕事や別のことに没頭したりすることもあります。

人と距離を置いて、さみしさを避けることもあります。

でも、どれもさみしさを癒してはくれません。

通じることができないから。

通じるということ

はじめは心をひらいてた

小さい子どもは純粋なエネルギーで関わってくれますね。

何の疑いもなく心をフルオープンで飛び込んでくれる子どもに対しては、無防備に心を開いて接することができます。

でも、私たちの多くは大きくなるうちに段々と本音で接することをしなくなります。

これを言ったらどう思われるだろう。
○○と思われたくない。
受け入れてもらえないのでは。
この人本当はどう思ってるんだろう。

・・・そんなふうに用心して人と接します。

そして、本音でやり取りすることなく、察知しようとする。

でも、人の心を読むことは不可能です。

きっとこう思っているに違いない、と考えていることはほぼ当たっていません。

人の心を察知しようとばかりしていると、自分の心に鈍感になって自分の本音も分からなくなります。

私たちは自分の気持ちも分からないのに、人の気持ちを聞くこともなく察知しようとします。

でも、そんなことはできないのです。

遠回りの表現をしたり、遠回りに相手の気持ちをさぐろうとしたりするから通じ合えないのです。

だから、お互いを分かるためには

自分の本音を知る。
ねじ曲げずに伝える。
相手の気持ちを聞く。
ねじ曲げずに受け取る。

それだけです。

それができないんだよ。

ですよね。

こわいですね。

どうやって?

です。

小さい時はそうしていたのに。

本来はとてもシンプルなはずのことが、今の私たちにとってはすごくむずかしく感じます。

シンプルになる

カウンセリングでも、ここがひとつの乗り越えポイントです。

「それだけはできない」
「こわい」
「はずかしい」
「相手がつけあがる」

とか、いろいろな気持ちが湧きあがります。

でも、そうやって大ごとに考えているのは自分だけだったりします。

むずかしい、ってみんな思います。

たしかにそうですよね。

でも、ほんとうはすごくシンプルなことです。

むずかしく考えるやり方に慣れ過ぎてしまっただけです。

ありのままを感じて、そのまま表現する。

いざやってみると、あまりにもすんなり受け入れられて拍子抜けっていうことがよく起こります。

でも、物事をむずかしくしてしまっていても、そのやり方が当たり前になりすぎてなかなか気づけないものです。

だから、まず気づくことが必要です。

たとえばこんなこと

女子がよく直面する例で考えてみます。

食事の後片付けや食器の洗い物あるあるです。

いつも当たり前のように私が洗い物をやっていて、彼(や夫)は知らん顔してだらだらしている。

私はイライラ

見て気づかないの?
気にならないの?
手伝おうとは思わないの?
私だって仕事してるのに。
私がやるのが当たり前だと思ってるの?言わなくてもやってよ!

そんなことを言ってしまうこともあると思います。

がまんしてやっていたとしても腹が立って、ピリピリしたり、別のことで彼に当たったりもします。

仮に「手伝う」とか言われたとしたら、それはそれで「手伝う?これは私の仕事!?」と、腹が立つこともありますね。

彼が手伝ってくれたとしても、ほんとはしたくないのに嫌々やってるんでしょ、と思ったり。

そうだと全然うれしくない。嫌々やるならやってくれなくていい!もういい!

こんなことなら、言わないで我慢した方がいいのか・・・ともんもんとします。

こういう場合、男性は、女性が何をそんなにピリピリしてるのかさっぱり分からない、という状態だと思います。(それがまた腹立つ)

男性は、ただその気まずい時間が過ぎ去ればいいのに、とか、早く機嫌直らないかな、とか思ってたりします。

女性からしてみたら、全然分かってない!

ですね。

でも、分かってくれないのは、本心を伝えていないからです。

この女性は本当は何を求めているのでしょうか?

洗い物をやってくれれば満足なのでしょうか?

本当に言いたいのは、「私だって忙しいんだから、あなたもやるのが当たり前でしょ」ってことではないはずです。

男性が、本心では「めんどくさー」と思いながらも、手伝わないと女性が機嫌悪くなるからやってくれるとしたら、うれしくないですよね。

ほんとうの気持ちはなんですか?

「私のことを大切に思ってくれてないんでしょ」

それがほんとうのきもち。

大切に思われていないと感じているからさみしい。

でも、そんなこととっても言えない。

言いたくない。

だから、私たちは言い訳をあたまで作り出します。

なんで私ばっかり。
私だって忙しいのに。
だらだらしてるんならやってくれてもいいでしょ!・・・

言い訳の方を伝えても相手に本当のきもちは伝わりません。

あなたもやるのが当たり前でしょう!という雰囲気をかもし出せば、相手に伝わるメッセージはこんな感じです。

「あなたってなんて思いやりがないの」
「あなたもやって当然でしょ」
「なんで分からないの」
「なんで私ばっかりやらなくちゃいけないの」とかです。

相手も大切に思われているとは感じられません。

そして、「ピリピリしてるな」、「機嫌悪いな」、「こわい」、「うるさいな」、「役立たずって言われてるみたい」とかそういうことを感じると思います。

そうなると、女性の機嫌を損ねないように振る舞おうとする人もいるし、はぐらかして逃げ切る人もいるだろうし、なんかしら忙しい振りとかする人もいると思います。

こういう状況で彼女を大事にしたいからやってあげたい!という気持ちになることはまずありません。

なぜなら、男性に伝わっているメッセージは「あなたってダメね」っていうことだから。

男性からすると女性を大切にしたいという思いより、義務感とか罪悪感とか、うしろめたい気持ちの方が先に立ってしまいます。

でも、女性はそういうつもりで言ってるんじゃない、って感じると思います。

傷付いているから、そういうことを言ってしまうのです。

大事にされてない

こういう状態のとき、お互いが「大事にされていない」と感じていると思います。

だから、女性が望んでいるような行動は彼からは生まれません。
(自らすすんで「やるよ!」っていうやさしい感じのやつ)

「僕がやるよ!」と進んで言ってくれれば、「いいよ、いいよ。座ってて」という気持ちになったりもします。

女性に聞くとほぼ皆この考えに同感します。

大事にされてると感じられるからです。

そして、相手に対してもやさしい気持ちになれます。
(こういう時は、お互いが「大切に思ってるよ」っていうメッセージを受け取っている状態です。)

私がこんなにやってるのに感謝もしてない。
当たり前と思われている。

これが一番イヤなのです。

・・・ということで、彼に伝えるのは本当の気持ちの方です。

がまんとかすると、溜まって怒りになりがちなので、すぐ伝えます。

「一緒に洗ってくれるとうれしい」とか。

(伝え方はIメッセージで。Iメッセージは コチラ

なんで、私が下手に出ないといけないの、とか、そんなことやったらつけあがる、とか、恥ずかしいとか、拒否される・・とか諸々の抵抗を感じたら コチラ(自我の話)。

私たちは、とりあえず傷つくのが怖いんです。

でも、もうすでに傷ついていることに気づいてください。

自分の本当の気持ちを見極める → そして、伝える。
(必ずIメッセージで。相手を非難したり、否定するのじゃなく)

そうすると思いのほか、あっさり、すんなりです。

勇気はいります

いちばんつながるべき人

ここでは男女の間の例えで考えましたが、身近のいろんなでき事でも同じことです。

私たちがさみしい、物悲しい、つながっていない感覚を覚えるのは、人と通じていないと感じるときです。

人と通じていないと感じる時、私たちは自分と通じていません。

分かってくれない、と感じる時、自分が自分のことを分かっていません。

苦しいのは、自分の思いと現実が違ってるからです。

自分とつながっていないからです。

つまり、自分の気持ちのほんとうのところが分かっていない、そして思いと違うことをやっているということです。

人がいてもいなくても、自分とつながっていないとさみしいのです。

究極のところ、さみしさの原因は自分とつながっていないこと。

私たちは自分で自分の本当の気持ちをふさいでいます。

そして、本当の気持ちとは、ずれたことを言ったりやったり、人とこじれないように表面的につくろったり。

だから、分かってもらえないと感じたり、人が信用できなかったりします。

通じている感覚が得られません。

人と通じたと感じる時、とても深い喜びを感じられます。

通じるためには何よりもまず、ありのままの自分の気持ちを分かることが不可欠です。

自分とつながっていないで、他の人とつながることはできません。

だから、いちばんつながるべき人は自分です。

私たちが求めているものはつながり。それだけ。

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