「ああ、またやってしまった…」
そんなふうに自分を責めたこと、ありませんか?
実はその “ため息” の原因は、出来事そのものではなく、あなたの中にある「観念」かもしれません。
カフェでの5分遅刻事件
A子さんがカフェの窓際の席で友人を待っていたときのこと。
待ち合わせ時間を10分過ぎても来ない。
「忘れられた?」
「いや、事故に巻き込まれたのかも…」
「いやいや、きっと私が嫌われたんだ…」
この10分の間に、頭の中では小説3章分くらいのドラマが展開していました。
──でも、事実はただひとつ。
「友人が10分遅れている」だけ。
「ごめん!道が混んでて…」
息を切らしながら友人が現れた瞬間、彼女の頭の中の大作ドラマは あっけなく幕を閉じたのです。
勝手に物語に展開したのは、頭の中の “観念” だったのです。
観念とは何か
この「勝手に物語を作るクセ」の正体が、観念です。
観念は、事実に意味をつけ、感情を生み出します。
観念とは、私たちの考え方のベースであり、判断基準。
普段は意識せず「当たり前」と信じていること。
固定観念・ビリーフ・思い込み・先入観…と呼ばれることもあります。
例えばこんなもの:
- 失敗してはいけない
- 迷惑をかけてはいけない
- 好きなことで食べていけない
- 男の人は浮気する
- 正直者は損をする
これらは事実ではなく、「本当だ」と信じていることです。
観念は必ずしもネガティブというわけではありません。
ポジティブなものもありますが、今回はネガティブな観念に注目してみます。
観念が行動と感情をつくる
例えば「時間は守るべき」という観念を持っていると
- 約束に遅れないよう無理をする
- 期限を優先して体調や他の予定を後回しにする
そして、守れなかったときには自分を責めたり、他人にも厳しくなったりします。
観念という色メガネを通すことで、ただの事実に「良い・悪い」という意味合いが生まれるのです。
観念の色メガネを外すー視点の変化
その①:事実と観念を切り分る
事実はただの事実で、元々意味はありません。
でも、観念を通して見ると事実に尾ひれが付いて、いいとか悪いというニュアンスが出てきます。
例:「取引先のアポイントに5分遅れた」
事実はそれだけ。
でも「時間は守るべき」という観念を通すと、
「信用を失った」「自分はダメだ」などの意味がくっつく。
遅れた、終わったー
となったら、ちょっと待って。
整理してみよう。
事実: アポに遅れた
思い込み: 「信用を失った」「自分はダメだ」
観念: 「時間は守るべき」
これに気づいた瞬間が、視点が変わる第一歩です。
出来事そのものではなく、意味づけの仕組みに気づくことで、見え方が変わります。
観念例:「失敗してはいけない」
ある女性は「失敗してはいけない」という観念を強く持っていました。
新しいことに挑戦しようとするたびに、頭の中で「もし失敗したら…」「やってみたいけど、失敗したら恥ずかしいし…」
というシナリオが再生されます。
結果、挑戦する前から疲れてしまい、行動できない。
でも、ある日こう気づきました。
「失敗したら恥ずかしい?何もしない方が失敗だ!!」
「目的は失敗しないことじゃない。やりたいことをやること」
その瞬間、彼女の中で “失敗=悪” という方程式が崩れ、行動の幅がぐんと広がったのです。
その②:悩みがあるから気づける
思うようにいかないことが起きるのは、観念に気づくためです。
そのために悩みが発生します。
悩み=悪いこと
ではなく
悩み=気づきのチャンス
この再定義ができると、心が楽になります。
重たい長靴を脱いで、裸足で芝生を歩き出すようなもんです。
観念例:人に頼ってはいけない
父は昔から「人に迷惑をかけるな」と口癖のように言っていた。
その言葉は、B美さんの中で「人に頼ってはいけない」という鎧になった。
ある日、重い荷物を抱えて駅の階段を上っていたとき、見知らぬ青年が声をかけてきた。
「持ちますよ」
「いえ、大丈夫です!」と反射的に断った。
でも、腕はもう限界だった。
結局、青年は笑顔で荷物を持ち上げてくれた。
その瞬間、胸の奥で何かがほどけた。
「頼る=迷惑」という観念が、少しだけ軽くなったのだ。
その③:観念を知る・気づく
悩んでいるのは、自分が悪いからでも 環境が悪いからでもありません。
そう感じたとしたら、それも観念です。
いいとか悪いとかではありません。
ただ「そう信じている」だけ。
色メガネを外すには
メガネをかけていることに気づかないと外せない。
自分や環境をジャッジするのは止めて、一歩引いて自分を眺めてみよう。
まるで、水族館の水槽越しの魚を眺めるように自分の心を観察してみるのです。
どんな観念があるかな。
観念例:自分が悪い
夜、布団に入っても眠れない。
昼間の会議での自分の発言を思い出しては、「あれは余計だった」「みんな呆れてたに違いない」と反芻する。
やがて、その思考はひとつの結論にたどり着く。
「やっぱり私が悪いんだ」
でも、ある日ふと気づいた。
「それも観念だ」
“自分が悪い”というラベルは、事実ではなく、ただの信じ込みだった。
観念に気づくための小さなワーク
- 最近モヤっとした出来事を1つ書き出す
- その出来事を「事実」だけで表現する(感情や評価は抜く)
- そこにくっついている「〜べき」「〜してはいけない」を探す
- それが観念だと気づく
まとめ
- 出来事はただの事実
- 観念が意味をつけ、感情を生む
- 悩みは観念に気づくチャンス
- 自己否定もまた観念
あなたの「当たり前」は何ですか。
その答えが、あなたの世界を変える最初の一歩になるかもしれません。
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