苦痛を軽減する心のメカニズムについてです。
この仕組みは問題をおおってくれるけど、同時にほんとうの自分として生きることを阻むものにもなります。
苦痛を避けて心を守るコーピングメカニズム
私たちは苦痛から逃れるためにいろんな行動をします
お酒、タバコ、薬、ギャンブル、TV、インターネット、ゲーム、SEX、恋愛、旅行、習い事、資格取得、お菓子、過食、買い物、空想、占い、セミナー、情報収集、思考、仕事、競争、自傷行為、病気、気晴らし、気分転換・・・
※注1
苦痛を察知すると、のみ込まれてしまいそうな感覚になって、それを避けるために無意識にこういった行動をしたりします。
これには、心が壊れてしまうのを防ぐための「心理的メカニズム」が影響しています。
コーピング メカニズムというものです。
ストレスや苦痛から心を守るために無意識に起こるしくみのことです。
コーピングというのは、「対処する」とか「切り抜ける」といったことです。
折り合いをつける、というニュアンス。
コーピングのしくみ
私たちは小さい子どもの頃、育つ環境(大抵は家族)の中で傷ついても、そこで生きるしかできませんでした。
つらいから「家出るわ」とか「よそん家の子になります」とかないわけです。
幼い子どもにとっての社会は「家族」のみです。
親に受け入れてもらえないということは、自分が存在できないということです。
そこを離れるという選択肢もないし、状況を自分の力で変えるという選択肢もない。
そんな発想もない。
その中で苦痛とどう折り合いをつけるか。
つらい状況をどうすることもできないとき、こんな無意識の作用によって心を守ります。
感情や記憶の抑圧、逃避、合理化、正当化、一般化、自虐、自己卑下、拒否、投影、自己解離、退行、身体化、依存、自立、ユーモア・・・・
最初に挙げた行動のベースにはこういった心の作用があります。
この心のしくみのおかげで私たちは苦痛をやわらげて、なんとかやってこられたわけでもあります。
これは、特別に悲惨な経験(例えば虐待など)をした子どもだけに当てはまるということではありません。
全子どもがこのしくみを発動しております。
私たちは大人になっても、そのコーピングメカニズムを発動しっぱなしで生きているのです。
気づかずに。
三つ子の魂百までです。
例えば最初はこんな感じでコーピングします
元々天真爛漫な性格の子だったとします。
その子は楽しいことに夢中になって騒いだりします。
子どもが騒ぐと母親が機嫌を悪くして「うるさい!」と怒鳴るとします。
すると子どもは「楽しくしてるとよくないんだ」と感じるかもしれません。
「楽しくしてると嫌われる」と思うかもしれません。
「自分は悪い子なんだ」と思うかもしれません。
そして、母親の顔色を見て行動するようになったり、大人しく振る舞うようになったりします。
この場合、この子は自分の中の無邪気さや楽しいことに夢中になる部分を抑圧して(自分を抑えて)、母親の機嫌を優先するようになります。
そして、母親に拒絶されたと感じて傷ついた気持ちもいっしょにしまい込むのです。
そして、大人になっても人の顔色を見て、自分がどう思われるのかを常に気にして振る舞います。
これは、ほんの一つの例ですが、こういったことが無数に折り重なって今の私たちを形作っています。
他にも・・
人前で泣いてると「みんなが見てるよ。はずかしい!」と言われる → 感情や弱い自分を否定。自分は弱いんだと自己卑下
いつも大人に「しっかりしてるねー」と言われる → しっかりしてなくちゃ。甘えちゃいけないんだ
両親がけんかばかりしている → 私が悪い子だから。もっといい子にしていないと
「お兄ちゃんだから我慢できるでしょ」と言われる → お兄ちゃんは我慢しないといけない
とかとか
こんな風に自分の望みや感情をしまい込んで、「○○でないといけない」と自分に言い聞かせるのです。
こうして観念が生まれます。
同じ出来事があったとしても、どんな風に苦痛をやりくりするのか、あるいはどんな観念を形成するのかは、環境や親の性質、子ども本人の性質などにもよって様々です。
もはや守ってくれない。不自由さの原因
こうして子どもの頃に身に付けたやり方を、私たちは今もやり続けています。
苦痛を察知すると、それを避けるさまざまな行動をするのです。苦痛に向き合うこと以外なんでも。
今の私たちは、本当は望むことを選択することもできるし、望むように変えることもできるのに、この見えないバリアのために、あの頃のように適応し続けようとしてしまうのです。
枠があることに気づいていないで、その枠の中にとどまっていようとします。
違う選択肢が目の前にあっても見えません。
望むことを選択したり、望むように変えたりすることはできない、という前提のままだから。
コーピングは苦痛を一時的に隠してくれるけど、苦痛を消してはくれません。
コーピングするということは、自分という存在の一部を否定して自分の中にないことにしている状態です。
本来の自分でない自分として環境に適応して生きている状態。
苦痛を麻痺させて。
消えない苦痛から逃れるために次から次へとコーピングし続ける。
知らず知らずに苦痛を避けることが行動の動機になっています。
でも心は苦痛を避けたいのじゃなくて、ほんとうの自分として望むことをしたいのです。
それを私たちはなんとなく分かっているから、「何かが違う」「満たされない」と感じているのです。
でも、どうしたらいいのか分からないから同じやり方を続けてしまいます。
傷を癒すと感性や才能を取り戻せる
私たちには、元の完全な状態の一部が欠けると、また元の完全な状態に戻ろうとするメカニズムも働いています。
欠けた部分を取り戻すことは「癒し」ということです。
欠けた部分を取り戻すには、欠けていることに気づく必要があります。
欠けていることを知らせるのが「苦痛」という感覚です。
元の完全な自分に戻るように「苦痛」が知らせているのです。
でも、私たちは苦痛からなんとか逃れようとします。
苦しさから逃れるという方法でこれまで乗り切って来たのだから。
でも、拒否していると苦痛はだんだんと増してきます。
無視できなくなるのです。
それは、もう痛み止めで乗り切るのではなく、痛みの元に対処できる力があるということでもあります。
どうしたらいいか分からないのは、苦痛を避けているからです。
全体に戻ろうとする心のメカニズムに逆らっているからです。
このメカニズムに委ねれば自然に流れていきます。
心はぜんぶわかっています。
私たちがやるべきことは「どうやって」を考えることではなくて、心の働きに抵抗して痛みをねじ伏せて流れと違う方向へ向かおうとするのをやめることです。
子どものときは苦痛の原因そのものをどうすることもできなかったので、苦痛を避けてなんとか心の折り合いをつけてしのぎました。
今の私たちは、そのときとは違います。苦痛の原因に対処することができます。
痛みを感じないために置き去りにした未解決のままの感情を迎えに行ける。
苦痛に向き合い、苦痛の原因(傷)そのものにアプローチすると癒しが起こります。
「癒し」とは本来の自分の一部を取り戻すこと。
子どもの頃、苦痛を避けて環境に適応して生きるためには不都合だった感情や感性、才能は一緒に心の中にしまわれています。
傷を癒すことでそれらを取り戻して、ほんとうの自分になることを心は望んでいます。
「苦痛を避けること」や「やるべきこと」に注いでいたエネルギーを「望むこと」に注げるようになります。
※注1 これらの行動がいつでもコーピングとなるということではありません。
やっても後味悪かったり、自分にとってよくないと分かっているのに、やめることができないという時、その行動はコーピングになっていると思われます。
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