今日は 心と体の「痛み」についてのおはなしです。
痛いのってイヤですよね。
当然です。
でもちょっと待って。痛みって、ただの“悪者”なのかな?
今日はそんな疑問からスタートしてみます。
痛みは“お知らせ係”
だった件
「痛い=ダメ」じゃない
痛みって、ただの苦しみじゃないんです。
実は、「ここ壊れてるよー!」って教えてくれる、めちゃくちゃ有能なアラート係。
たとえば、足をぶつけたら痛い。
それ、骨が折れてるかもしれないから「動かすな!」って教えてくれてるわけで。
つまり、痛みは守ってくれてるんです。
…え、ツンデレか。
痛みを無視すると、
追いかけてくる(全力で)
「痛いのイヤだから、見ないふりしよ」ってやると、痛みはこう言います。
「待てコラ、まだ終わってないぞ」って。
そして、全力で追いかけてきます。
怖っ。でも、健気。
だから、痛みを遠ざけるより、近づいて観察する方がいい。
「何が原因なの?」って聞いてみる。
すると、痛みは「やっと聞いてくれた〜!」って泣きながら教えてくれるかもしれません。
ケトルの笛理論:
痛みの正体は“火”だった
ケトルが鳴ったら、どうする?
突然ですが、笛吹ケトルがピーッて鳴ったらどうします?
火、止めますよね。
それが正解。
でも、もし「音うるさいから、ケトル投げた」って人がいたら…
それ、ただの破壊行為です。
(ケトルに謝って)
痛み=笛の音、原因=火
このケトル理論、実は痛みにも当てはまります。
- 火 → 原因(ストレス、トラウマ、習慣など)
- 沸騰 → 心や体の限界
- 笛の音 → 痛み・苦しみ
つまり、痛みを止めたいなら、音じゃなくて“火”を止める必要がある。
音だけ消しても、火がついてたら今度はケトルが壊れる。
ケトルの笛が鳴ったら火を止めるなんて当然、って思いますよね?
でも、自分のこととなると火を止めるのを忘れて、笛だけ消そうとしがちなんですよ!
痛み止めで乗り切ろうとしたり・・
痛みの原因に向き合うって、
どういうこと?
原因は「見えないクセ」
かもしれない
痛みの原因って、物理的なケガだけじゃない。
心のクセ、考え方、習慣、環境…いろんな“火種”がある。
たとえば:
- 「がまんが美徳」って思い込んでる
- 「弱音はダメ」って自分に言い聞かせてる
- 「忙しいから後回し」って放置してる
こういうクセが、じわじわ火をつけて、気づいたらケトルが爆鳴りしてる。
(ピーーーーーーッ!)
対処=火を止めること
じゃあどうすればいいか。
まず、「痛い」って感じたら、「何が火種かな?」って考えてみる。
それは、過去の経験かもしれないし、今の生活習慣かもしれない。
原因を見つけて、ちょっとずつ火を弱めていく。
痛みは、それを待ってる。
「やっと火を止めてくれた…」って、静かに消えていく。
まとめ:
痛みは“敵”じゃなくて“味方”
(ちょっと不器用)
痛みって、ただの苦しみじゃない。
むしろ、「あなたを守りたい」っていう、ちょっと不器用な味方。
(痛みで気を引く作戦)
だから、無理に消そうとしない。
「何が原因かな?」って、火種に目を向けてみる。
それだけで、痛みは少しずつ役目を終えていく。
とはいえ、痛みが強すぎるときは、いったん音を消すのもアリ。
でも、最終的には火を止めることが大事。
ケトルも、心も、ちゃんと見てあげよう。
そして、そっと火を弱めてあげよう。
(痛みさん、今までありがとう。でもそろそろ休んでいいよ)
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