「失敗したらどうしよう」は、実は考えてない説
やりたいことに本気で取り組めない理由・・
ランキングがあったら間違いなく上位に食い込むのがこれ。
「失敗したらどうしよう…」
このセリフ、よく聞くし、よく言う。
でもね、「失敗したらどうしよう」って言ってるとき、ほんとうは失敗した後に「どうしようか」を考えてないですよね?
まるで、失敗確定かのような妄想が頭の中に渦巻いて、具体的な作戦は何も考えてない思考停止状態。
ただただ、フリーズしてるだけなんです。
「失敗したくない!」っていう気持ちが強すぎて、その先の行動を考える余裕がなくなっちゃうんですね。
でも、失敗って本来そんなに大げさなものじゃないはず。
失敗したらどうするか?
それはもう、どうしようかを考えて、ヒントを見つけて、次の方法を試すだけ。
それだけ。ほんとにそれだけ。
なのに、世の中全体が「失敗」という言葉に、まるでラスボスみたいな重みを持たせちゃってる。
だから私たちも、失敗=人生終了みたいなイメージを持ってしまう。
この思考停止の正体、もうちょっと深掘りしてみましょう!
こうなりたくないっていう不快(恐れ)ベースの行動の結末は不快なできごとにつながるよ。
だから、どうなりたいか・何をしたいのかっていう理由で行動したらスイスイいけるっていうお話はコチラ👇に書いてます。

失敗を恐れる理由は、思い込みだった
失敗って本来は、期待したのと違う結果になったってこと。
だから、また試す。
こういう名言、よく聞くよね?
「途中でやめなければ失敗じゃない」
でも、これを本気で受け取れる人って、なかなかいない。
「はいはい、成功者だから言えるんでしょ」
「それができないから困ってるんだよ〜」って、心の中でツッコミ入れてない?
そう、正論って、耳に入る前に心のバリアに跳ね返されちゃうんです。
“失敗=恥”はどこから来た?
じゃあ、なんでそんなに失敗が怖いのか。
それは、知らないうちにこっそり心に“失敗=恥”っていうラベルを貼ってるから。
「失敗しないようにがんばりなさい」
「間違えないように注意しなさい」
っていうメッセージを呪文のように何度も何度も聞かされてきたから。
学校でも、家庭でも、職場でも。
失敗しないことが目的になってない?
——本末転倒の罠
だから、
「失敗してはいけない」
「失敗は恥ずかしい」
そんな風に思うようになったんだ。
すると、成功への一歩よりも、失敗のリスクばかりが拡大して見えてくる。
そして気づけば、行動の目的が「成功すること」じゃなくて「失敗しないこと」にすり替わってる。
「成功しなくていいから、失敗したくない」
っていう、なんとも切ないループにハマってしまう。
これが、成功よりも“失敗回避”を優先してしまう理由。
これって、まるで「テストで1問も間違わないぞー!」って言いながら、問題を解かずに白紙で提出すようなもの。
たしかに間違えない。けど、ゼロ点。
でもね、これは長年かけて心に刻み込まれた「失敗=悪」っていう呪いのせい。
失敗したら、敗者の烙印を押される。
そんなイメージがあるから、怖くて動けなくなる。
そして、うまくいかなかったら心が折れて、もう一度試す気力もなくなっちゃう。
この呪い、そろそろ解いてもいいんじゃない?

本当に怖いのは“挑戦しないこと”
失敗したくないから、本気で挑戦できない。
でも、やってみないってことは、思い通りにならない未来が確定するってこと。
何もしないまま時間は過ぎていく。
“やりたいこと”も、“成長”も、“発見”も、全部置いてきぼり。
それって、人生の中でいちばんリスキーじゃない?
本当はやりたいことがあるのに、挑戦しないで「今のままの変わらない日々」を選び続けるっ望む生き方を放棄すること。
失敗を避けるために「絶対に間違えない方法」を探すより、するんと行動する。
いろんな方法を試した方が早いし、楽しいし、成長できる。
大事なのは、
間違えないことじゃなくて、やりたいことをやること。
「絶対に間違うな!チャンスは一度きりだ!さあ、行け!」
って言われたら、そりゃ立ちすくむよね。
そんなプレッシャー、いらないいらない。
失敗を「人生の終わり」じゃなくて、「ただのステップ」に再定義してみよう。
そうすれば、もっと軽やかに動ける。
怖れに打ち勝って飛び込め!じゃなくて、「失敗って何?」を見直すことが、ほんとのスタート。
自分の生きたい人生を歩んでる人って、失敗に大げさな意味づけをしていない人。
成功か失敗かじゃなくて、「やりたいかどうか」で動いてる。
成功の反対は、失敗じゃない。
失敗は成功の途中経過。うまくいかなかったら、違う方法を試すだけ。
成功の反対は、やりたいことをやってみないで放棄すること。

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