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「愛ってなんですか?」と聞かれて、即答できる人は少ないかもしれません。
それもそのはず。
「愛」という言葉は、ふわふわしていて定義があいまい。
人によって「愛」の意味は違うし、文化や経験によっても変わります。
だからこそ、愛を語るときには、ちょっとした“翻訳”が必要だと思うんです。
これは、私が愛を考察してみた記録です。
愛ってなんだろう?と考えたとき、私はいろんな分野のレンズを借りてみることにしました。
心理学、哲学、スピリチュアル。
それぞれの世界には、いろいろな愛の定義があって、見る角度によってかたちも変わって見えるんです。
どれかが“正解”じゃなくて、私にとっての愛の定義を探るヒントとして受け取ったもの。
あなたの中の愛の地図にも、何か響くものがあるかもしれません。
愛を「感情」としてだけじゃなく、「倫理」「存在」「関係性」としても考えている・・
スピリチュアル界隈では、愛は「宇宙の根源」だったり「魂の振動」だったり・・
突然ですが、バシャールって知ってますか?
先ほどの、スピリチュアル系の愛のところで言及したんですが・・
宇宙存在(という設定)のチャネリングメッセージを届けてくれる存在で、スピリチュアル界隈ではけっこう有名なんです。
ある時、彼が語っていた内容が端的で私的には共感できたのでご紹介。
バシャールが語る「愛」の定義:
愛とは、その存在そのものの周波数。
何を選択しようとも、無条件でサポートされているということ。
つまり、自由であるということ。
本当の自分でいる自由。それが愛。
愛って何?を考えるとき、まずは愛じゃないものをリストすることが役立ちます。
愛と勘違いしやすいものって結構あって・・
パッケージは「愛っぽい」けど、中身は不安や自己否定でできてることもあるんです。
たとえば、「あなたのために我慢するね」って言われたら、一瞬「愛されてる…?」って思うかもしれないけど、
それって実は“自己犠牲”という名のラベル違いかも。
ここでは、そんな“愛っぽいけど違う”行動をピックアップします。
「うん、わかるよ〜」って言いながら、心の中では「いや、全然納得してないけど…」って思ってる状態。
これは“共感”じゃなくて“迎合”。
心理学的には「過度な適応」と呼ばれていて、自分の感情を押し殺して相手に合わせるクセです。
完璧を演じたり、価値を高めようとしたり、「本当の自分」を隠して“理想の自分”を見せること。
これは「自己一致」の逆で、演技型の自己表現。
たとえるなら、毎日コスプレして生きてるようなもの。
しかも衣装が重くて、脱げない。
「あなたのことが心配で…」という言葉、優しそうに聞こえるけど、
実は“相手を信じていない”というメッセージになってしまうことも。
心理学では「過保護」や「過干渉」と呼ばれ、相手の自律性を奪ってしまう可能性があります。
「私さえ我慢すれば…」という考え方。
これは“愛”ではなく“自己否定”の延長線。
自己犠牲が続くと、心の中に「見返りを求める気持ち」が育ってしまって、やがて「こんなにやってるのに!」という怒りに変わることも。
「相手が喜ぶことをしてあげたい!」という気持ち、素敵なんだけど、それが「期待通りに喜んでくれないと落ち込む」につながるなら要注意。
これは“相手のため”じゃなくて“自分の安心のため”になってるかも。
「愛してるから、こうしてほしい」
「あなたのために、私はこれをやめる」
…これ、愛のように聞こえるけど、実は“コントロール”の一種。
愛は自由。
我慢や妥協で成り立つ関係は、長く続くとどこかで息切れしちゃう。
愛っぽい行動でも、その動機が「不安」「恐れ」「自己否定」から来ているなら、それは“愛のふりをした別のもの”。
昔、「愛ってなんだろう?」と考えていたとき、いろんな本を読んだり、偉い人の言葉を調べたりしても、どこかピンとこなかったことがあったんです。
「愛とは与えること」
「愛は技術だ、忍耐だ」
…うーん、なんか固い。愛って、そんなに修行っぽいものなの?
そんなとき、ある友人とのやりとりが、心にすとんと落ちたんです。
私と友人Aちゃんには、共通の知人Bさんがいました。
私はBさんに好意的だったけれど、Aちゃんはどうやら苦手だったみたいです。
でも、Aちゃんはそれを私にずっと言えずにいました。
そしてある日、Aちゃんは勇気を出してこう言いました。
「ほんとは大嫌いやねん。でも、ヒロちゃんに嫌われると思って言われへんかった」
…この瞬間、私は「これって愛よね」って感じたんです。
嫌われるかもと思いながらも、勇気をだして気持ちを打ち明けてくれたんです。
このやりとりには、心理学でいう「自己開示」と「相互尊重」が詰まっています。
Aちゃんは、自分の“嫌い”という感情を隠さずに伝えた。
私は、それをそのまま受け止めた。
このとき、ふたりの間には「本音でつながる安心感」が生まれたんです。
愛って、「好きだよ」と言うことだけじゃなくて、「怖いけど、本音を言ってみるね」っていう勇気にも宿ってるのだと思います。
そしてそれを受け止めてもらえたとき、「この人の前では、自分でいてもいいんだ」って思える。
それは、まるで心のコートを脱いで、向き合うような感覚。
…しかも、寒くない。むしろ、あったかい。
愛って、不安とか恐れとか、ああすべき、こうすべきじゃない……とかいろいろ取っ払って、そこに元々あるもの。
ほんとうの自分でいること。
そして、周りの人やものも そのままを受け止めること。
さてさて、「愛とは素の自分でつながること」っていうことで……
どうやってその“本音でつながる愛”を育てていくの?って話です。
ここでは、心理学的な視点も交えながら、今日からできる4つのステップを紹介します。
まずは、自分の気持ちをちゃんと見てあげること。
ジャーナリング(書き出し)や感情ラベリング(名前をつける)を使って、「今、私って何を感じてる?」を言葉にしてみましょう。
たとえば、「モヤモヤする」じゃなくて、「不安」「さみしさ」「期待が外れた感じ」など、細かく分けてみると、自分の内側がクリアになってきます。
愛は自由。でも自由には“境界線”が必要。
境界線っていうのは、「ここから先はちょっと無理かも」っていう心の線引き。
たとえば、「今日は疲れてるから会えない」って言うのも境界線。
「相手の期待に応えなきゃ!」って思う前に、自分のエネルギー残量を確認してみてくださいね。
ちなみに、境界線は“壁”じゃなくて“ドア”。
開けるか閉めるかは、自分で決められる。
愛って、相手を“見張る”ことじゃなくて、“見守る″こと。
相手の話を聞くとき、「それって正しいの?」じゃなくて、「そう感じてるんだね」って受け止めるのがポイントです。
評価を保留するって、ちょっと勇気がいるけど、その分、相手は安心し″話せるようになります。
最後は、「自分の気持ち」と「相手の気持ち」を持ち寄って、一緒に関係をつくっていくこと。
「私はこう感じてるよ」
「あなたはどう思ってる?」
「じゃあ、どうしたらお互いに心地よくいられるかな?」
これが“合意形成”。
愛は、どちらかが我慢するものじゃなくて、ふたりでちょうどいい場所を探す旅なんです。
「無条件の愛」って聞くと、「何があっても全部受け入れること」って思いがちだけど、それってちょっと危険かも。
現実の人間関係では、“境界線付きの無条件の尊重”が大切。
つまり、「あなたの存在は尊重するけど、私の限界も大事にするよ」っていうスタンス。
これがないと、共依存になったり、自己犠牲が続いたりして、関係が不健康になっちゃうことも。
無条件の愛って、
「なんでもOK」じゃなくて「あなたのままでいていいよ、でも私も私でいるね」ってことです。
「ずっと一緒にいたい」って気持ち、恋愛でも友情でもよくありますよね。
でも、それが「不安を埋めたい」「安心を確保したい」っていう動機から来てるなら、それは“愛”じゃなくて“依存”かもしれません。
心理学では、こういう状態を「アタッチメント不安」と呼びます。
相手が離れることへの恐怖から、距離を詰めすぎちゃう状態。
もちろん、誰かと一緒にいたい気持ちは自然なこと。
でも、「一緒にいなくても安心できる」関係こそが、愛の成熟形と言えるかもしれませんね。

ここまで読んでくれてありがとうございます。
「愛とは何か?」っていう問いは、なかなか深いですね。
愛は、「○○すること」っていう行動だけじゃなくて、「○○でいてもいいよ」っていう存在の許可でもあります。
「愛ってこうあるべき」
「愛してるなら、こうしてくれるはず」
そんな“定義の枠”を外してみると、意外とシンプルなものが残ります。
それは、
「あなたのままでいてくれて、ありがとう」
「私も、私でいていいんだ」
っていう、静かな肯定。
最後に、ひとつだけ提案。
今日の会話の中で、本音をひとつだけ短く伝えてみよう。
「実はちょっと不安だった」でもいいし、「ほんとは嬉しかった」でも。
その一言が、あなたと誰かの間に、ふわっとした“愛の風”を吹かせてくれるかもしれません。
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コメント
コメント一覧 (2件)
自分が最も尊敬する人は、一般的にいえばネガティブだったりハンデだったりすることをとても愛でる人でした。
Aさんとのエピソードを聞いて私も腑に落ちました。
はじめからすべてここにあったんですね。
腑に落ちる何かを感じられたんですね。
はじめからすべてここにあるんですよね。
でも、それに気づくって簡単じゃないし、とても大切なことですね!