非常時のいま、目の前に起こっていることにとらわれがち。
一番大切な対策、それは、心を観察して、自分のほんとうの望みを知ること。
何はともあれ自分の心の観察が優先なワケ
非常時には心が浮き彫りになる
今、心の中のことがより浮き彫りになっていることに気づいている人も多いと思います。
これまでに経験したことのないようなことが世の中で起きて、人や活動が制限される中、自分自身や周りの人たちの感情や空気感の圧が高まっていますね。
本来私たちは日常、非日常に関わらず心の中のことを外側に映して体験しています。
でもスルーしがちです。
心の扉をバタンと閉めて、中のものは見ないようにしている。
でも、スルーしがたい状況になって感情を押し込め続けていると、扉の中にため込んだものがあふれて漏れ出てしまうんですね。
現象は同じでも自分にとっての現実はみんな違う
非常事態の中で、早い段階から強い感情を経験していた人もいれば、周りの状況の変化によって自分の気持ちも影響を受けた人、さほど影響を受けていない人・・・いろんな人がいます。
状況が変わっていく中で、気持ちがくるくる変わる人・・ぜんぜん変わらない人・・
ちょっと慣れてきて気持ちも落ち着いてきた(マヒした?)という人もいると思うし、ばっちり動揺継続中の人もいますよね。
不安、恐怖、いら立ち、焦り、不自由感、不公平感、罪悪感、不信感、うらみ、ねたみ、あるいは恩恵・・
あなたはどんな感情を感じていますか。
人それぞれ敏感になるポイントが違うし、出来事の受け取り方が違います。
起きていること=自分
こういうとき「みんな同じ思いになってるはず」とか、「みんな同じように振るまうべき」と考えるひとも多いですが・・
まずみんな同じじゃない。
違うことにフォーカスして、違う現実を体験している。
たとえば、この状況のなか
とにかく不安という人もいれば
人のことを批判したくなる人もいるし
人に非難されないかと気になる人もいる
自分のやりたいことに没頭できるっていう人もいるし
自分に向き合う時間が持てるっていう人
子どもたちとたっぷり一緒にいられてしあわせっていう人も・・
そんな風にいろいろです。
ものごとのいい面を見ろよー、ということではありません。ぜんぜんそうじゃない。
みんな感じ方が違うという話。
同じことを経験しているようでも私たちは出来事の中に自分の心の中を映してとらえているので感じていることは様々なのです。
起きていることというのは自分の内側を映して見ているもの。
外側の現象や人をなんとかしようとがんばっても、それはむくわれないのです。
だから、起きていることをどうにかしたいと思ったら、おおもとの自分をどうにかする。
どうにかするには
ほんとうはどうあってほしいのか(理想)
現状はどうなのか(現実)
を知る必要がある。
だから、何はともあれ自分を観察するのです。
感情が行き先案内
心は最初から知っている
問題意識があるのだとしたら、それは何かが「違う」と感じているということです。
私たちは問題を抱えて悩んでいるとき、何が問題で何がほんとうの望みなのかということを意識レベルでは分かっていません。
でも心がすでに「望み」を知っているから、それと現状が「違う」と分かるのです。
「違う」ことは分かるけど、何が違うか分からないからもやもやするんですね。
どうやったら分かるか。
自分がどうしたいのかを人に聞いても、テレビに聞いても、ネットで探しても答えは分かりません。
私たちが不安になるのは、自分がこたえを知っているのに、外側にこたえを探しているから。
ないものを探しているから不安になるのです。
自分がどうしたいのかは自分だけが知っています。
だから、自分を観察するのです。
何にフォーカスしているのか、何にどう反応しているのか、どんな感情が起きているのか。
感情を邪魔者扱いして押し込めていませんか。
感情は行きたい方向へ向かっているかどうかを知らせてくれる行き先案内です。
行き先案内機能をオフにしてしまっては、どっちに進んだらいいか分かりません。
コンパスなして樹海を進むとしたら怖くないですか?
感情を頼りにしないで生きるのは、それと同じことです。
怖くて前に進めない。
やみくもに進んでも目的地には、たどり着けません。
コンパスを使ってください。
使わないで持て余しているのはもったいないよ。
ということで、感情を観察しましょう。
感情は大きく分けると2つ。
快と不快。
快を感じているときは、望みにフォーカスしてるということ。
不快を感じているときは、望まないことにフォーカスしてるということ。
感情をしっかり味わって、自分の「望むこと」と「望まないこと」を見てみてください。
知ってるつもり、ではなくてほんとうの意味でわかれば迷うことはありません。
分かれば変わる
でも、自分の内側を見ることはそう簡単ではありません。
なぜなら私たちはあまりにも外側の出来事にリアクションすることに慣れすぎて自分に向き合うということをしてきていないから。
でも大丈夫。
気づいていなければ、どうこうしようもない。
でも条件反射的に外側に反応していることに気づいていればいいのです。
気づいたら焦点を外側から自分の内側へ戻して心を観察する。
外側に起きている出来事ではなく、起きていることに対して自分がどう感じているのか。
一日のうちの少しの時間でも自分の心の状態にフォーカスしてみる。
感情がわいたら抑えようとしないで味わう。
そんなことをやってみるのです。
きっとここでも自我がささやき始めます。
分かったところで変わるはずない、とか
なんかむずかしい、とか・・
いろんな抵抗が生まれますが、抵抗をやめて自分のほんとうの望みをわかれば変わります。
選択
好ましくない現実が過ぎ去るのを待って過ごす?
過ぎ去らないなら諦める?
でも、私は言いたい。
ピンチは後で、「あのことがあったおかげで」になる。かならず。
(向き合ったときは)
ピンチは、よりチャンスなのです。
試練は意識を自分の内側に向けてくれます。
立ち止まって考える機会をくれるから。
チャンスに抵抗しないで自分のために時間を使ってみてください。
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