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幸せと手段

目的と手段を混同していると、手段にとらわれて本当の目的がそっちのけになってしまいます。
今フォーカスしているのは、目的でしょうか?
手段でしょうか?

もくじ

行き先不明ではたどり着けない

物事の段階や、長期的あるいは短期的に期間を区切ってみると、目的が手段になったり、手段が目的になることはあります。

けれど、今自分がどこにいて、どこへ向かっているのかが分からないでいると、目的地へは到達できません。

迷子になります。

どこへ向かっているのか分からないから、なんとなく周りを見て、こっちへ行くのがいいのかな、とやるんです。

そして、行き先不明のままぐるぐるとさまよって、なんか違うとは感じつつも抜け出せなくなっちゃいます。

なんか違うというのは、うすうす分かる。

けれど、何をどうしたらいいのか分からない。

それで、抜け出す方法を模索してみる。

でも、うまくいかない。

それは、目的地に到達する手段ばかりを考えているから。

こんなことになってます。

船こいで行く?

自転車か?

やっぱ歩きか。

そりゃ、時間かかりすぎでしょ。

車かな。

高速に乗る?

下道行く?

ナビ?

いや、裏道で。

・・じゃ、なく

どこに行くの?

それ先でしょ。

っていう状態。

行き先さえ分かっていれば、方法はどれでもたどり着くわけなんですが。

と、まわりくどいことを言いましたが・・

行き先がよく分からないまま、方法を模索しているからたどり着かないのです。

行き先決めないでたどり着かないのは当たり前じゃん、と思うかもですが、実際現実の世界だと私たちはこういうことをほんとにまじめにやりまくってます。

抜け出す方法

具体的な例で考えてみます。

例えばたとえば・・・

結婚だ!結婚しなければーと考えているとします。

結婚が目的と考えている。

結婚したら幸せになるという風にむすびつけていた場合、知らず知らず結婚が目的になってしまう。

そうすると、自分にとっての幸せが何かということをはっきり分からないまま結婚相手を探すことになりがち。

尺度が自分の幸せではなく、世間的なものさしで測ったり。

そして、とにかく結婚して、

あれ、こんなはずではなかった・・・と。

お互いの価値観が合わない、とか思い始めます。

相手に不満を感じたり、自分に言い聞かせてがまんしたり。

あるいは、逆に結婚相手が見つからないケースだと・・

結婚という手段にとらわれている場合、結婚してない間は幸せじゃないと感じる。

結婚という出来事が起こるまではずっとお預け状態なのだ。

ずっと足りていない。

結婚の後に幸せがやってくる。

そう考えている。

たとえば結婚というのは手段です

なぜ結婚したいと考えるのか。

それは、究極のところ幸せになりたいと考えているのだと思います。

手段にとらわれた場合、結婚した場合もしない場合も幸せという目的に到達するのはむずかしい。

幸せに到達する手段は、結婚だけではないし、いろんな方法があるのに結婚以外の方法は拒否!と言っているようなもので、幸せを拒むことにもなる。

目の前に幸せがあっても、スルー(受け取り拒否)してしまうのだ。

自分にとっての幸せが何かを知らないから。

そこで、幸せという目的にフォーカスしてみようというのです。

幸せっていうけど、じゃあ、自分にとって幸せっていうのはどういうこと?と。

これが、そう簡単ではないのです。

そもそも幸せ~って、どういうことなのかよく分からないっていう場合も多いと思います。

なら、幸せの感覚をまず知る必要があります。

知らないまま幸せになろうとすると、世間の尺度を採用してしまいがち。

結婚してる人が勝ち組。結婚できないと置き去り。

相手探しにとりこになる。

相手を探す前に、自分が何を求めているのか、がっつり向き合う必要があるのです。

それが先。

そして、その幸せの手段のひとつが結婚であったら、自分の幸せに見合う結婚というのはどういうことなのか考えたらよいのです。

目的地点を自分の幸せに設定できずにいると、迷子になってなんとなくのイメージで

結婚したい
お金ほしい
安定した仕事したい
有名になりたい
肩書ほしい

・・・とかなりがちです。

でも、それらと幸せとは関係ありません。

そうは言っても、それらがあったら幸せになると感じるかもしれないですけど、すいませんがなりません。

幸せな人がお金持ちになったら幸せなお金持ちになるし、幸せな人が結婚したら幸せな結婚生活を送るし、幸せな人が有名になったら幸せな有名人になります。

幸せじゃない人がお金持ちになったら幸せじゃないお金持ちになり、幸せじゃない人が結婚したら幸せじゃない結婚生活を送るし、幸せじゃない人が有名になったら幸せじゃない有名人になります。

お金や結婚や名声や・・・こういったものが幸せの条件だと思っていたら、それを得ても満たされません。

それで、もっともっととなるのです。

そうやって手段と目的を混同したまま迷い込んでしまうのです。

目的(望み)は自分だけが知っている

ある人はこう話していました。

結婚したけれど幸せじゃない。

苦しいばっかり。

ちゃんとした結婚生活を送ろうと、きちんとやろうとがんばっている。

でも、夫は分かってくれない。

私ばかりが頑張っている。

そこで、彼女に聞きました。

彼女の幸せってどんな感じなのか。

そうしたら、自分がいつも笑っていること。

そう気づいたのです。

そして、こんなことにも気づきました。

実は、夫はいつも「がんばって家事をしなくていいよ。もっと手を抜いてかまわないよ」と言ってくれている。

でも、彼女は、「そうじゃない!ちゃんとやらなきゃいけないのに、なんでもっとあなたもやってくれないの!」と感じていました。

手伝うよと言われると、手伝う?これは私の仕事なの!?(カチン)と。

だれかに言われたわけじゃないのに、やらなきゃいけないという思いにとらわれて自分にも夫にも腹を立てていたのです。

そして、自分が求めていることは完璧な結婚生活ではなくて、笑顔でいられることだと気づいた。

そっちが自分が望むことだと分かれば、何かするときの行動の選択ははっきりしてきます。

いらいらしながら、完璧に料理して、掃除して・・をやるのか。

ちょっと手を抜いて夫と笑顔で過ごすのか。

というわけで、まずは自分にとって幸せってなんなのか、それをじっくり見つめていただきたいです。

何が幸せなのかは、自分しか知りません。

自分の幸せを見つけたら、それを共有できる人がいれば結婚してもいいし、お金を使って誰かにおすそわけするのもいいと思います。

目的と手段

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