私たちは自分の信じていることを経験します。
悩んでいるのは、あなたが間違っているからでも悪いからでもないし、誰か他の人や環境のせいでもありません。
自分仕様のメガネを通して見ると、でき事が悩みの原因のように映ります。
そのメガネというのは、自分の持っている『観念』のことです。
もし望んでいないことを経験しているのなら、『観念』を見直すと経験することが変わります。
観念とは
もし今、状況に満足していなかったり、変わりたい、と思っているとしたら、「しんどい」とか「つらい」というようなネガティブな感情を感じているのだと思います。
感情が起きるのは、でき事があるからではありません。
それは、『観念』があるからです。
『観念』というのは、自分の考え方のベースとなっているものです。
判断基準とも言えます。
普段、意識することもなく、当たり前に信じていることです。
固定観念とか思い込み、思いグセ、バイアス、先入観、ビリーフ・・なんていう言葉で表現されたりもします。
人は誰でも、たくさんの観念を持っています。
どんなものかというと・・
- 失敗しちゃいけない
- 人には親切にすべき
- 悪口は言っちゃいけない
- 私は不器用
- 迷惑をかけてはいけない
- 好きな事では食べていけない
- 学歴がないといい仕事に就けない
- 男の人は浮気する
- 私はネガティブ
- いいことが起きたら悪いことが起きる
- 正直者が損をする
- 甘いものは体によくない
- 私はすぐ風邪を引く
要するに「そうだ」と思ってることなんでも、です。
ただし、「事実」ではなくて「本当のことだと思っている」もの。
ネガティブと思えるものばかりを挙げましたが、観念がネガティブなものというわけではありません。
ポジティブな観念もありますが、ここではネガティブな観念について考えていきます。
観念の影響
『観念』ベースで行動し、判断する
例えば、こんな観念を持っていたとします。
「時間は守るべき」
この観念を持っていれば、恐らくこんな行動を取ります。
- 約束の時間に遅刻しないようにする
- 予定通りに行動する
- 仕事を期限に間に合わせる
こんなことは当たり前のことで、普通そうするでしょう、と思うかもしれません。
恐らく日本人なら、ある程度は時間を守るように行動する人が多いですね。
でも、人や所が変われば、これは全然普通でも常識でもありません。
海外とかに行くと、実感できますね。
時間に正確な日本で生活するにしても、この観念を特に強く持っている人は、「時間を守ること」について、より注目することになります。
自分の都合や体調、他のやりたいことなどを後回しにして、「時間を守る」ことを優先させようとします。
無理やガマンをしても、間に合わせようとするかもしれません。
これが続くとストレスや欲求不満などを感じてしまいます。
そして、そんな風に無理をしても期限に間に合わせられなかった場合には責任を感じたり、あるいはいら立ちを感じたり、自信を失って落ち込んだりするかもしれません。
そして、普段このように行動しているので、他の人が平気で時間に遅れたり、期限を守らなかったりという行動を目にすれば、「時間にルーズだ」とか「責任感がない」とか「周りに迷惑がかかる」と考えて、ネガティブな感情を経験します。
こんな風に私たちは、観念に沿った行動をしようとします。
観念というメガネで歪んで見える
観念というメガネを通してでき事を認識するとどうなるか。
例えば、
取引先のアポイントの時間に5分遅れて到着した。
ということがあったとします。
でき事は、「取引先のアポイントの時間に5分遅れて到着した」。
これだけです。
でも、「時間は守るべき」という観念を持った人が、このでき事を経験すると
「取引先のアポイントの時間に5分遅れて到着した。時間を守れない自分はダメだ」とか
「取引先のアポイントの時間に5分遅れて到着した。取引先の信用を落としてしまった」とか
「取引先のアポイントの時間に5分遅れて到着した。上司に怒られる」とかになります。
「取引先のアポイントの時間に5分遅れて到着した」という事実を、「時間は守るべき」という観念を通して見ると、「取引先のアポイントの時間に5分遅れて到着してしまった」という意味合いを帯びてきます。
守るべきルールを破ってしまったので、「・・遅れて到着した」という事実の後に「ダメだ」とか「怒られる」とか、何かがくっついてきます。
「時間は守るべき」なので、守った時は当たり前。なので、自分をほめたりはしません。
いつもその「守るべき」ルールから外れないように注意して行動します。
外れた時は責めます。
当然のことだと思っているからです。
他の人も同じように考えると錯覚します。
守らない人を見ると、がっかりしたり、責めたくなったりします。
事実はただの事実で、ただそいうことが起きたという現象にすぎません。
元々意味はありません。
でも、観念を通して見ると、事実に尾ひれが付いて、いいとか悪いというニュアンスが出てきます。
悩みの原因は観念
私たちが悩むとき、それは観念がもとになって引き起こされます。
色メガネで物を見ている状態なので、実物そのものではなくてちょっと違って見えているということです。
そして、状況が悪いと判断したときにネガティブな感情が発生するのです。
でも、これを聞いて、悩んでるのはやっぱり「自分の責任なんだ」とか「悪い観念を持ってるということは、自分が間違ってるんだ」という風に感じたとしたら、それも観念です。
いいとか悪いとかではありません。
持っている観念と同じ現象を経験する。以上。
それだけです。
自分が間違っているから、罰として悪いことが起きるのじゃあありません。
ひとつではなくて、たくさんある観念が複雑に絡んで影響して、でき事に意味づけをします。
観念の強さによっても変わります。
その信じていることを望んでいようが望んでいまいが、その観念を大切に抱えているということは、そのことに注目することになります。
自分が考えていることにフォーカスするため、それ以外のことが目に入らなくなっている状態です。
現実に起きていることは、自分がフォーカスしていることだよ、っていうのも書いてマス!
悩みには意味がある
観念に気づくと、観念を通して見ているために隠れて見えなかったものが見えるようになります。
制限が外れて可能性が広がるのです。
思うようにいかないことが起きるのは、観念に気づくためです。
そのために悩みが発生するのです。
悩みは、観念に気づかせてくれます。
悩んでいることは悪いことじゃありません。ステップアップのきっかけなのです。
自分が当たり前に信じていることは、必ずしも当たり前ではありません。
でも、自分自身でそれを信じていることにすら気づいていないことも多いのです。
あなたの当たり前はなんですか?
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