前回の『自分を大切にするのはむずかしい』の続編です。
カウンセリング中に『自分を大切にすること』に話が及ぶと多くの人が「自分を大切にするとわがままになりそう」とか「自分を大切にする事と、わがままの違いが分からない」と言われます。
今回はここのところを考えたいと思います。
前回の記事
自分を大切にするって?(ふたたび)
自分自身に軸があること
前回の記事でも書きましたが、自分の気持ちや感覚に関心を向けることが自分を大切にすることだと私は考えています。
別の言い方をすると自分を大切にすることは軸が自分にあること。誰か他の人や状況を理由にして行動するのではなく自分を主体として行動することです。
わがままは、自分を大切にしていない
わがままは他人軸
自分勝手な行動をするのは、自分が幸せでいるためには周りの人や状況が自分の思うようにならないといけないと考えているからです。
自分の幸不幸が周り次第という考え方です。自分を大切にすることとむしろ逆です。
一見、横柄に振る舞う人も「弱みを見せたらつけこまれる」と無意識では恐れているのです。
我慢して人に合わせるのも他人軸
周りの目を気にして自己を犠牲にすることも他人軸です。
NOと言ったらよく思われないのではないか、とか・・・行動の動機が外側にある時多くの場合、恐れがベースになっています。
損か得か。幸か不幸か。二極思考はしんどい
損か得かとか、自分が幸せだと誰かが不幸せになるという考え方だと奪い合いになってしまいます。
自分を大切にすることは自分の幸せのために誰かを犠牲にするということではありません。
自分の幸不幸は自分次第、自分の自由。それが自分軸。
自分軸の幸せは自分で選ぶことができます。
自分に厳しくする理由
自分の中のよくないもの
私たちが自分に厳しくするのは、自分の中の一部をよくないものとして捉えているからです。
例えば人に頼ることはよくないことだと考えているとします。
そうすると人に頼るような行動を自分に禁じます。
本来私たちの心には二面性があります。
先ほどの例で行くと『自立的』な面と『依存的』な面が両方あります。
両方の面でバランスが取れているのです。
でも、何らかの理由で一方の面をないことにする決意をしたのです。
それがあったら愛されないと思ったからです。
この一面が表に出てこないように自分に厳しくして監視しているのです。
あんな風にはなりたくない
自分の中にあってはいけないその一面について深く見つめていくと、その特性を全面に押し出している人に思い当たることも多いです。
親だったり、きょうだいだったりします。
自分はそんな風でいてはいけない、いたくない、と思っていると、自分がやっちゃいけないと嫌ってることをやる人が他にも身の回りに現れてきます。
それで、そんな人たちを批判的に見ます。そしてモヤモヤしたり、同時に自分を責めたりもします。
自分を大切にすると人からも大切にされる
自分に厳しくしていると周りからも厳しくされる
自分に厳しいと人にも厳しくなりがちです。
表には出さなかったとしても心の中では他人を評価してしまいます。
自分が我慢していると他の人たちも我慢するべきと考えて、『普通はそんなことしないでしょ』と思ったりします。
周りに助けを求めるのも苦手なので助けてもらいづらいです。
援助を申し出てもらっても受け取れなかったりもします。
それで、なんで自分ばっかり頑張ってるの、という気持ちにもなるかもしれません。
頑張ってない人たちばかりがいい思いをしているように感じるかもしれません。
迷惑をかけてください、ということではありません。
『良い、悪い』という視点から離れてみるということを試してみてほしいのです。
私たちは生きていればどうしたって『誰にとっても完璧』という生き方はできません。
誰かにとってはよくても、誰かにとってはよくないのです。
私たちはいくつも自分に禁止事項を課しています。
こうしてはいけない、とかこうあらねばということがたくさんあるほど自分で自分をがんじがらめにして生きづらくなります。
自分を大切にすることは、心地よさがベース
わがままは恐れベース
自分の責任で自分が心地よさを選択する。恐れベースではなく、心地よさベースで行動するとき、誰かを犠牲にして自分が得しようとは考えません。
また、他の誰かの心地よさはその人にしか分からないこと。
自分がそうだからと言って相手も同じように感じるわけではありません。
他の人の気持ちを勝手に想像して決めつけるのはやさしさではありません。
他の人ではなく自分自身の心に責任を持ってください。そうすることで周りの人たちも心地よく過ごしやすくなります。
あなたが自分を大切にしてもわがままにはなりません。
安心して自分を大切にしてください。ちょっとずつ。
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