悩みの根本にあるもの

2019年8月23日

どんな悩みや苦しみでも根っこの部分は同じです。
だから、この根っこの部分に気づかないでいると根本の解決には至らないのです。

▼目次

  1. “いい”と“わるい”
  2. “いい”と“わるい”にこだわる理由
  3. 苦しみの理由

“いい” と“わるい”

カウンセリングでは、いろんなお話を伺います。

恋愛の悩み。

自分の性格やコンプレックス。

職場の人間関係。

家族のこと。

いろんな悩みや苦しいことがあります。

でも、どんどん掘り下げていくと行きあたるものがあります。

“いい” と “わるい”

です。

正しいか間違っているか。損か得か。
優劣・・なんかもそうです。

悩むのは、物事を “いいとわるい” に分けて、“わるい” を避けているからです。

無意識でいるとずっと振り回されてしまう

私たちは、この “いい” と “わるい” に捉われていますが、そのことをはっきりと認識していません。

自分の意識では、したいと思っているからやっているつもりのことも、よく見つめてみると、“いい” になりたいからだったり、“わるい” を避けたいからだったりします。

つまり、純粋にやりたいから(楽しいから)やっているのではなくて、“いい”でありたい、“わるい” を避けたいからやっているということです。

“いい” と “わるい” にこだわる理由

なんで “いい” になりたい、“わるい” を避けたいのか。

『 “いい子” でいないと受け入れてもらえない』

小さい子どもの時、私たちがそう思ったからです。

子どもにとって、親に受け入れてもらえないのは死活問題です。

親(や養育者)に見放されたら生きていけません。

親に見放されることはとてもこわいことなので、なんとかして見放されないようにしていなければいけません。

繰り返し何度も心に刻み込んだ “いい” と “わるい” が心の基準になります。

“いい” でいないと嫌われる。“わるい” だと受け入れてもらえない。

そして、親だけでなく周囲の人たちに対してもこの “いい” と “わるい” を基準に接するようになります。

“いい” と “わるい” が自分の存在価値と結びついてしまったのです。

大人になった今では親に見放されるなんてことはもう問題視していない人も多いとは思いますが、幼い頃に心に刻んだ “いい” と “わるい” は、なかなか手放せません。

その基準でものごとを見るのが当たり前になり過ぎているからです。

“いい” でいるようにするのは当たり前でしょう。わるいことしていいってこと?

っていうふうに “いい” と “わるい” という枠組みで物事をとらえるのは当然のことだと疑わなくなっている。

でも、ほんとうは・・

いい=存在価値

意識していないかもしれないけれど、存在を受け入れてもらいたいから私たちは“いい”でいることに無意識的にとらわれてしまっているのです。

苦しみの理由

“いい”でいることの何が問題なの?

“いい”か“わるい”かに知らず知らずにとらわれていることが私たちの幸せをさまたげます。

心から望んでやりたいことをやっているのか、自分の存在を受け入れてもらえないのを恐れてやっているのかを分からなくなってしまうから。

想像以上に無意識に駆り立てられて行動しているものなのです。

本当の心とは反対の行動を取っているのなら、心の望みに沿った行動を取らない限り幸せにはなりません。

どこまで行っても絶対的な“いい”はない

『よくありたい』と思って行動したとしても、他の人がそれをいいと思うかはわかりません。

誰にとっても”いい”でいることは不可能なことです。

例えば・・・

仕事で後輩がミスをしたケースを考えます。

Aさんは、寛大なのはいいこと、と考えているとします。

すると、後輩のミスに関して特に指摘することなく大目に見てあげるかもしれません。

Bさんは、きちんと指導してあげるのがいいこと、と考えているとします。

すると、BさんにとってAさんの行動は、 “いい” とは映りません。

ミスしたらきちんと指摘して教えてあげるのがいいことなのだから、Aさんの行為は放置。だから “よくない”、ととらえるかもしれません。

いいことだと思ってやったことでも、ある人にとってはいいことだし、ある人にとってはよくないこと、そしてある人にとってはどうでもいいことだったりします。

だから、“いい” にこだわって行動したとしても報われないのです。

私の “いい” と “わるい” は幼いときに家族や身の回りの社会の中で、小さい私たちが設定した “いい” と “わるい” です。

親にとっての “都合がいい” だったり、きっとこれが “わるい” んだ、と自分が心に決めたものです。

誰にとっても “いい”、誰にとっても “わるい” という絶対的な『いい・わるい』はありません。

幼い時に家族の中で自分の場所を確保するためにはそうするしかなかった。でも、その『いい・わるい』は、大人になった今の私たちのいる社会(職場や恋人、友達・・・)には当てはめることはできません。

その『いい・わるい』で、自分の存在を受け入れてもらうことはできないのです。

がんばっても認めてもらえないから苦しいです。

がんばっているのにうまくいかないときは コチラ

自分は “いい” と自分で思いたい。人にも “いい” と思って欲しい。

『いいかわるいか』を盾にして、自分の本当の気持ちに言い訳をしていませんか。

自己否定

『いいとわるい』という思考でいると、自分や人をいいのか悪いのかジャッジしてしまいます。

いいかわるいかに切り分けることは、自分のことを2つに切り分けて、悪い方をなきものにしようとすることです。

例えば、依存することは悪いことと思っていた場合、自分の中の依存的な部分を排除しようとします。

人に依存的だとか甘えてると思われないように行動します。

そのキーワードに関連する行動を恥ずかしいと思います。

仕事でできないと思われたくない。はずかしい。

わからないことがあっても聞かない。自分で解決する。

弱い部分を見られたらはずかしい。

頼ったり、弱さを見せたり、できない自分を否定して隠そうとします。

こんな風にさまざまな行為を、制限すると同時にジャッジしています。

これが自己否定。

ほんとうの苦しみの原因は自己否定です。

誰かとの関係がうまくいかないとか状況が思うようにならないから辛いと感じていて、自己否定のせいだとは思いにくいかもですが。

何をなきものにしているのか気づくこと

『いいかわるいか』を判断基準にしていると、自分の存在価値を感じられなくなります。

自分でわるいと決めて、なきものにしているものに気づいて認めることができると自分を受け入れられるようになります。

そして、自分自身のことを受け入れられるようになると、他の人に受け入れてもらえるようになります。

判断基準にしていることが全ての些細な言動に現れています。

バッグを買う。

素敵、とか、高そう、って思われたいから?
いいね、って言われたいから?

それとも、誰にも見せないとしても、そのバッグを選ぶ?

悲しい時。

涙を流す?
悲しいと言う?

それとも、恥ずかしいから悲しくないフリをする?

あなたの言動は

よく思われたいから?
変だと思われたくないから?

それとも、うれしいから?
自分自身の心がそう望んでいるから?